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【5分対策①】錯誤論、たぬき・むじな事件|刑法をわかりやすく解説【図解】

今回のは、「たぬき・むじな事件」という事例を基に、刑法における錯誤論について考えていきたいと思います。

こんにちは、ミノです。皆さんは、「むじな」や「もま」という言葉を知っていますか。これらの言葉をめぐって裁判になった、「たぬき・むじな事件」という事件があります。まずはこれらの事件についてみていきましょう。

たぬき・むじな事件とむささび・もま事件

大正13年、猟師であった行為者Xは、禁猟期間であったにも関わらず、山にいた狸2頭を射撃し、捕獲しました。この行為が狩猟法に違反するとして起訴されましたが、Xは「自分が捕獲したのは『むじな』であって『たぬき』ではないから、狩猟法違反にはならない」と主張します。


実はXが住む土地では、古くからたぬきのことを「むじな」と呼んでいました。そのためXは、猟が禁止されている「たぬき」を、その俗称である「むじな」だと思って捕獲してしまった、という訳です。

また、似たような事例として、「むささび・もま事件」という事例も存在します。これも、禁猟動物である「むささび」を、俗称の「もま」だと思って捕獲した事件です。

問題点…錯誤

客観的にみたら両者とも、「たぬき」や「むささび」という禁猟動物を捕獲していることになり、当然狩猟法に違反するわけです。しかし主観的には両者とも、「むじな」や「もま」だと思って捕まえたため、「狩猟法で禁止された動物を捕まえる」という故意が認められないのではないか、という問題が生じました。この、客観と主観の「ズレ」つまり「錯誤」がある場合、どのように処理をするかという話をしていきます。

錯誤論 「事実の錯誤」と「法律の錯誤」

まず刑法は、「錯誤」を「事実の錯誤」と「法律の錯誤」の2つに分類します。

事実の錯誤とは、行為者が行為当時認識した事実と、実際に発生した客観的な事実が一致しない場合です。例えばAだと思ってピストルで撃ったら実はBだった場合などを言います。

そして法律の錯誤とは、法律上許されない行為であるのに、許されていると思って当該行為をすることを言います。例としては外国人が、日本でも賭博が許されていると信じて賭博行為をすることを言います。つまり、「法律上許されていると思ったら、実は許されていなかった」というズレであると言うことになります。

「事実の錯誤」の処理と構成要件

事実の錯誤に当てはまる場合には、原則として故意を認めることができません。そもそも故意を認めることができるのは、行為者自身が「これから行う行為が犯罪であること」の認識、すなわち「犯罪事実の認識」をしたうえで、それでもかまわないと思って当該行為に及ぶからです。

その犯罪事実の認識をするのに必要な事実、すなわち「生の事実」に食い違いがある場合、故意を認めるわけにはいかなくなります。

先ほどの例だと、「Aをピストルで撃つ」という事実が、行為者が認識した生の事実になります。そしてその事実を認識したうえで「Aを殺害する」という犯罪事実を認識したわけです。ところが実際には「Bをピストルで撃つ」という生の事実と、「Bを殺害する」という犯罪事実になってしまっているため、食い違いがあり、原則故意を認めることはできません。

もっとも例外として、行為者が認識した事実と、実際に発生した事実が、構成要件の範囲内で符合していれば、故意を認めることができます。

構成要件とは、刑法が「これこれこういう行為をしたら犯罪になるよ」と言っているところの「こういう行為」のことです。例をあげると、199条の殺人罪における「人を殺す行為」や、235条の窃盗罪における「他人の財物を窃取する行為」です。構成要件の範囲内で付合していると認められた例としては、殺人罪と同意殺人罪や、窃盗罪と強盗罪などです。

先ほどの例だと、Aに対する殺人罪を犯そうとして、実際にBに対する殺人罪を犯しているため、付合が認められ、故意を認めることができるわけです。

「法律の錯誤」の処理と「違法性の意識の可能性」

法律の錯誤に当てはまる場合、原則として故意を認めますが、違法性の意識の可能性もない場合には故意を認めないことになります。「違法性」は、犯罪が成立するための要件の一つです。ある行為が「犯罪」であると言えるためには、その行為が法に違反している必要があるからです。そして故意があると言えるためには、少なくとも、行為者がその行為の違法性を意識する可能性がある必要があるわけです。

そのため法律の錯誤がある場合、違法性の意識の可能性もない場合には、故意を認めないことになるわけです。

先ほどの例だと、賭博行為を行った外国人が「もしかしたら日本だと賭博が禁止されているかもしれない」などと思った場合、違法性の意識の可能性はあるとして故意を認めることになります。そのため、事実の錯誤の場合よりは故意が認められるハードルは低い訳です。

2つの錯誤の差

なぜ事実の錯誤と法律の錯誤で処理が異なるのでしょうか。

事実の錯誤は、犯罪事実の認識に必要な、生の事実そのものの認識に食い違いがあるため、とても重大な錯誤になります。一方、法律の錯誤の場合、生の事実そのものの認識には食い違いはなく、あくまでその行為が法律上許されているか否か、という「評価」における誤りがあるのみです。そのため、事実の錯誤に比べると、「ズレ」の程度は低いことになるため、両者に差が出るわけです。

ここで、最初に出した2つの事件の話に戻ります。

どちらの事件でも、故意が認められるか否かが争われたわけですが、その中で当然、「事実」と「法律」どちらの錯誤にあたるか問題となったわけです。

では、この二つの区別についてみていきます。学説上有力とされている見解は、一般人が当該行為の違法性を認識できる場合を法律の錯誤、そうでない場合を事実の錯誤とします。先ほどの二つの判例にこれを当てはめると、行為者の周囲では「もま」が「むささび」であることは常識でした。そのため、一般人も「もま」を捕まえる行為につき違法性を認識できるとして、法律の錯誤にすぎず、故意を認めることができるとされました。

一方、「たぬき」と「むじな」に関しては、古くから行為者の周囲では別物だと考えられていました。そのため、一般人では「むじな」を捕まえる行為につき違法性を認識できないとして、事実の錯誤にあたるとされ、故意を認められなかったというわけです。

まとめ & スズトリYouTube版

今回は、2つの事件から、刑法の錯誤について解説しました。錯誤に関する話は、刑法の中でも苦労する話だと思うので、皆さんの理解の助けになれば幸いです。YouTube版もよかったらどうぞ↓