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【図解】シャクティパット事件|不作為殺人|ライフスペース【法律解説】

1999年11月11日、千葉県成田市でとある事件が起きました。


自己啓発セミナーを主催する被告人甲は、手のひらで患者の患部を叩いてエネルギーを患者に通すことにより、患者の治癒力を高めて病気をなおすという、「シャクティパット」という独自の治療法を施す能力を持つとして信奉者を集めていました。

その日、甲の信者であるBは、自分の父親であるAが脳内出血で倒れ、入院したことから、甲にシャクティ治療を依頼しました。甲は、脳内出血という重篤な症状の患者を治したことはなかったものの、治療を引き受けなければ自身の立場が危うくなることから、治療を引き受けることにしました。甲が引き受けてくれると言ったため、Bは反対する医師を押し切り、Aを病院から連れ出し、甲のいるホテルの一室に連れてきてしまいます。そして甲はシャクティパット治療を施し、Aを放置しました。


しかし当然甲にはそんな治療能力はなく、Aはそのまま痰を喉に詰まらせ死亡してしまいます。
果たして甲は、Aの死亡についてどのような罪責を負うのでしょうか。

今回は、シャクティパット事件に関する法律について、なぜ、直接的な殺害行為をしたわけではないのに、殺人罪とみなせるのか、詳しく解説します。

不作為による殺人

結論から言うと、最高裁は、甲に殺人罪の成立を認めました。しかし甲は、シャクティ治療としてAの体を叩くなどしただけであり、ナイフで刺すなど、直接Aを殺す行為をしたわけではありません。それなのになぜ殺人罪が成立するのでしょう。

実は、甲のした行為は不作為による殺人行為になります。「不作為」とは「作為」がないこと、つまりは「何もしないこと」を指します。何もしないことで犯罪の結果を生み出すことを「不作為犯」と呼ぶわけです。

不真正不作為犯

犯罪は原則として何等かの作為により行われるのであり、条文上でも、199条の殺人罪のように、「〇〇を『した』者は、××の刑に処する」というように規定されているのが普通です。そのため、原則として、「〇〇『しなかった』者は、××の刑に処する」というように、不作為で行われることが前提となっていない限り、不作為犯として処罰することはできません。

このように条文で、不作為により行われることが予定されている犯罪を「真正不作為犯」と言います。例を挙げると、刑法130条の不退去罪です。

それに対して、甲のように作為で行われることが原則とされているところ、不作為で行う犯罪を「不真正不作為犯」と言います。甲の場合、「Aを助けなかった」ことにより「Aを死亡させた」という結果が発生しているため、不真正不作為犯として殺人罪が成立するわけです。

問題点

しかし不真正不作為犯には、問題点があります。条文上では「『〇〇すること』が罪になる」とされているのに、「何もしないこと」を罪としてしまうと、どのような行為でも不作為犯として処罰できてしまうのです。例えば子供が川でおぼれているのを見てしまったとします。

この際、溺れる子供を助けず見殺しにした、という理由だけで殺人罪が成立してしまうと、川の近くにいた人全員が処罰されることになってしまいます。

そのため、不真正不作為犯が成立するためには、いくつかの要件が必要とされています。①作為義務があること、②作為可能性・容易性、③作為犯との同価値性、④因果関係、⑤故意・過失、の5つです。一つずつ見ていきましょう。

作為義務

まず、①の作為義務です。ここにいう作為義務とは、助ける義務のことをいいます。Aを見殺しにしたことを責めるには、甲に「助ける義務があった」と言えなければならないわけです。

先ほどの川の例だと、ただ通りすがっただけの人に救助義務があるしてしまうと、その人も溺れてしまうおそれがあります。そのため、その子供の親などにのみ救助義務を認め、処罰の対象を狭めるわけです。

では、シャクティ事件における甲はどうでしょうか。まず甲は、セミナーの主催者であり、Bはその信者です。そのため、甲の言うことなら何でも聞く、というような主従関係があったわけです。そのような相手に「私が治療する」と言われたわけですから、Bとしては、Aの治療について甲に全てを任せるつもりでAを連れてくるはずです。

そして甲の側も、頼まれたからとはいえ「任せろ」と言ってしまっており、Aの治療を引き受けています。このような事情から、甲にはAに適切な治療を受けさせる義務があったと判断されたわけです。

その他の要件

②の作為可能性・容易性は、①の作為義務を果たすことが可能であり、容易であることを指します。シャクティ事件の場合、Aが入院していた病院に連れ戻すなり、再び救急車を呼ぶなりすればAは助かったわけですから、作為可能性・容易性も認められます。

③の作為犯との同価値性は、「不作為」が「作為」と同じような意味を持つことを言います。重篤なAを放置しておけば、死亡してしまうのは火を見るよりも明らかであるため、甲の不作為は、作為により殺したのと同じような意味を持つわけです。

そして④因果関係は、甲の不作為によりAが死亡したという関係を。

⑤故意・過失は、死ぬと分かっていて放置したことを言います。これらの要件を全て満たすことにより、甲に殺人罪が成立したわけです。

まとめ & スズトリYouTube版

今回の動画では、シャクティ事件についてみてきました。YouTube版もあるのでどうぞ↓